頑張っているのになかなか認められない 〜結果を出すためのたった1つの質問〜

スポンサードリンク




現状に何の不満も疑問も抱かず、安定した収入の中で、周囲から期待や必要とされるスキルを充分に有し、やりがいにも満たされ、淡々と同じ毎日を続けていくことができれば、人生としては上々なのかもしれない。

しかし多くの人がそのような現状にはなく、あの手この手で『自分の自分に対する期待』に対しての解答を探している。

成長、自己投資、意識高い系、

この、ある意味では呪いのようなものに取り憑かれている人に向けて少し話そうと思う。

そんなワード意識したこともないという方はブラウザを閉じてもらってかまわない。

自分の成長と周りからの評価のミスマッチ

これを感じているなら少しお付き合いいただきたい。

自分にたった一つの質問をするだけでその原因が見えてくるかもしれないから。

自分が成長したことをはっきりと認識するために箇条書き

まずは自分の中での成長とはどんなものなのかをはっきりと認識するために何ができるようになったかを箇条書きで一言で表してみる。

一年前の今ごろにはできなかったことが今できるようになっていれば、それはどんなことでもまず『成長した』と言い切ってしまおう。

どんな些細なことでも、目標としたものの一部でも良い。

  • WordPressでブログを書ける
  • Photoshopで年賀状作れる
  • デザインをロジカルに理解できてきた

労して得た成長が評価されない原因は『使えないから』

しかしながら往往にしてその『できるようになったことリスト』は行き当たりばったりな、何の一貫性も無いものである場合が多い。

私の場合、興味の対象が一年で目まぐるしく変わるのでそれが特に顕著だ。

これは何かを習得する際の動機付けが自分勝手で、移り気、無計画なことに起因している。

色々手をつけて、ある程度スキルは習得できているのに、一向に日の目を浴びない。結果に繋がらない。
思い当たる節がある方も少なくはないのではなかろうか?

以前の自分よりもはるかにグレードアップしているはずなのに周りからは見向きもされない、何の影響も及ぼさない、これといった成果も出ない。

何故か?


それは自分勝手な成長は他者にとってあまり魅力的に映らないからだ。

つまり自分勝手な成長は他者にとって、社会にとって使い勝手が悪く、どうにも扱いに困る。
故に世の中の誰も振り向かせることができない。

私の下手くそなギターが少し聴けるレベルになったところで雑音であることに変わりはないということだ。

成長したからといってそれだけで価値があるわけではない

勘違いしないでもらいたいのは成長すること自体に意味はある。意味はあるのだ。

意味は意義をもたらし、人生に生きがいを与える。
これだけでも成長は素晴らしいものだ。

素晴らしいことではあるけれども自慰的な内発的動機で取得したスキルは他者から見れば散在的で使い勝手が悪い、ほったらかしに好き放題伸ばした観葉植物の美しさにも似てる。
見る人によっては美しいと感じるし、他の人には何の価値も感じない。

自分勝手で気まぐれな成長にはそれに投じたリソースを社会から回収できるだけの価値がないのだ。

成長と価値を両立するためのたった一つの質問

では価値ある成長とは何か?
これは端的に一つの質問で答えられる。

一年前の自分は助けられなかったけど、今の自分なら力になれる人は誰?

これに思い当たる人、組織、階層が浮かぶようなら以前の自分よりも間違いなく変化しているし、その変化は少なくとも対象にとっては価値がある。

どんな些細なことでもどこかの誰かのためになるようなことができるようになればそれは価値のある成長なのだ。

しかし、そのことを誰にも知らせずに秘めているのは存在しないのと同義なのだが、それはまた別の機会に。

自分の努力を実らせたかったら、まずは他者の助けになることから取り組む

成長と価値。言いかえれば、

どうなりたいかと誰を助けられるのか

この距離は近ければ近いほどいわゆる『結果』という影響力は発生しやすい。

自分のやりたいこと、向かいたい方向、身につけたいスキル。

この内発的な動機を優先させ、突き進んだ果てに、周りからの評価や成功があると思い込みたいのはわかる。
痛いほどによくわかるが、これではほとんど宝クジに並んで自分の当選を疑わないのにも等しい。

なりたい自分と助けたい他者、
この距離を近づけることは巡り巡って結局は自分のためになのだ。

こういう内容を書くとポジティブ意識高い系、スピリチュアリズムのような話になるのが本当に心苦しいのだが、人間が社会性の動物であることを思えばひどくロジカルで当然の帰結。

自分のことだけを大事にして、大事にして、究極的に大事にしていった先、
もっと大きな結果、自分以外にも影響を及ぼすような結果が得たいとなれば、結局人のためになることをしていかないと自分がいい思いできない。

何故なら人は自分のためになるようなことにこそ、進んで反応するからだ。

人は自分にとって影響のあるものにしか興味を示さない。

あなたがする努力が自分のためになると思えば人は喜んで協力し、盛り上げ、成果を汲み取る。

努力をし、成長を実感しているのに他者が自分の行いに対して無反応なのは、人の求めているものを無視した努力をいつも続けているからだ。

ある意味では自分を大事にしすぎて、自分を貶めているとも言える。

自分がやってきたことへの反応の無さや、下らない自慰はやめて価値提供をしろという曖昧なワードで傷つけられた人たちはぜひとも

一年前の自分は助けられなかったけれど、今の自分なら力になれる人は誰?

この質問を自分に対して投げかけて、価値を与えられる成長と、そうではないものを振り分け、

次からは価値のある成長に視点を当てて行動に変えていっていただきたい。

ABOUTこの記事をかいた人

小学校の頃のアダ名は「まるゴリ」でした。それを知らないハズの奥さんにもことあるごとに「このゴリラ!」とイジられます。今ではゴリラの物憂げな表情に思慮深さと親近感すら覚えます。「あの~、ホラ、ゴリラの人のブログ」で記憶してもらえると幸いです。