人生にかかる三方向の力

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もし明日死んでしまうとしたら

将来の為にと積み重ねた時間や財産に対してきっと後悔するだろう

 

もし明日を考えずに時間や金を散財したならば

消しゴムのように只々目減りしていくだけの全てに絶望するだろう

 

その相反するものを抱えながらフラフラと行ったり来たりを繰り返してる。

その答えもハッキリ出せない状態に、横から今までの自分が犯してきた行動の支払いを求められる。

 

なんだか結局この三方向に掛かる力のバランスの取り合いなんだろうなぁって感じてます。

 

我慢しすぎてもダメ、

遊び呆けててもダメ、

ワガママにいき過ぎても人の言うなりになってもダメ。

 

ある程度のことがあらかじめ決まっていて選択肢が限られていれば楽だろうけど、ほとんどのことには自分の意思や選択の結果で

行動の原因には必ず何割かは自分がいるからまた厄介だし、躊躇する。

アメリカに振り向いて欲しくてたまにボタンを押しちゃう国から逃げ出してきた人たちは、こちらのあまりの選択肢の多さに死ぬほど病んで戻ってしまう人もいるらしい。

でも結局、神様は恐ろしいぐらいに一人一人の人生に無関心だから

ボーッとしたまま何もしなくたって、

躊躇して動けないまま終わったって、

自暴自棄になって全部壊したって、

助けてくれないし、見てくれないんだよね。

 

いつかは必ず死んでしまうのに、そのいつかが1秒後かもしれないし、

何十年後かもしれず、

往々にしてそれは自分で決定できない、これが問題だ。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

小学校の頃のアダ名は「丸ゴリ」でした。それを知らないハズの奥さんにもことあるごとに「このゴリラ!」とイジられます。今ではゴリラの物憂げな表情に思慮深さと親近感すら覚えます。「あの~、ホラ、ゴリラの人のブログ」で記憶してもらえると幸いです。