誰でも確実にセンスアップできる知識の高め方

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自分で言うのも憚られる(はばかられる)が僕はセンスがある、と評されることが多い。
しかし、そういった評価をされる度に非常にむず痒い思いをしている。
それは自分がいかにセンスがないかを自覚しているからだ。

いや、センスはある、センスはあると思うのだがセンスに対する裏付けがないのだ。

 

読者の中に「自分はセンスがある!」と自信を持って手を挙げられる人はあるだろうか?

 

おそらく大半の方が「センスはあると思うけど実はいつもなんとなくこなしているだけ」か、
もしくは「自分は全然センスなんてない」のどちらかかと思う。

売場での販促物や、こういったブログの素材を作る場合でもやはりセンスは問われるわけだが、
このままそういった感覚に頼った曖昧さでアウトプットをしていくのは限界があるだろうと思い、最近『デザイン』や『センス』に関する本を集中的に読み込んでいる。

 

この本によるとセンスというものに対する僕ら非デザイナーの一般人の思い込み、

センスのある人は何か特別な才能があって、神の啓示のような閃きを元に仕事をしている

というような偏見を一蹴してくれる。

 

この本の言いたいことは簡潔。

  • センスとは知識の集合体である
  • 知識とは研鑽を積めば誰にでも手に入るもの
  • だからセンスは誰でも研鑽次第で手に入れられる明確な技術である

こういった内容で話は進められ、

具体的に何をしていくべきかといえばただ一つ。

広く受け入れられている作品に触れて、作者の制作意図を読み取るまで自分で深く掘り下げたインプットを積み重ねること。

これをやっていくことで確実にセンスは養われる。
そう強く思わせてくれる非常に説得力のある本でした。

タイトルがすでに内容の答えであるという、流石デザイナーなこの著書。
気になるという方は是非読んでみていただきたい。

以下、僕なりの学びをまとめてみました。

センスとはなんぞや?

センスとは著書によれば、『普通』がわかるということ。

「世の中の人がだいたい好きそうなのはこの辺だよね」

という感覚。

この感覚をいかに高い精度で持っているかがセンスの良し悪しを決める。

この『普通』の感覚を養うには幅広いインプットが重要で、インプットの幅、つまりは世の中一般の『好みの幅』を知っているほど、作り手側の『普通』の精度が増していく。

この幅が狭い場合、ある一定の集団、業界、年齢層には受け入れられるけれども一般層にも受け入れられる『普通』がわからないため、大きな反響は得づらい。

例を出せば、デコトラなんかがいい例。

トラック野郎の世界では七色に光る電飾や、バイザーやサイドミラーがド派手に飛び出ているのがある意味『普通』なわけだけれども、それを次のいすずのエルフの標準仕様にしたらプロダクトとしては思いっきりスベるはず。

まぁデコトラ界では伝説になるだろうけど笑

本当にセンスがあるというのは幅広いインプットに下支えされた明確な『普通』の基準があった上で初めて発揮される。

その明確な基準があるからこそ広く受け入れられるアウトプットも瞬時に生み出せるし、そこから少し逸脱したものも自由自在に『狙える』。

プロのデザイナーの世界には「なんとなく」や「好きだから」は許されないのだから納得。

あの人たちはそれ『狙って』アウトプットできる、だからこそ私たちのようなセンスのない人間、自分のセンスに自信のない人間はある種の異星人のように感じているわけだけれども、とんでもない勘違い。

デザイナーの狙いを澄ませたアウトプットは研鑽を積んだ恐ろしく精度の高い論理で支えられていたというわけ。

だから「何となく?」や「好きなだけでしょ?」といった僕たちが一番恐れる反論にも強いしなやかさを持っている。

職業として「これが売れる」と人や組織に提案していくわけだから強いのはある意味では当然で、そうでなきゃ怖くて出来ない。

ヲタクは実はセンスが良くなる一歩手前の状態

幅広いインプットによる『普通』を獲得していくことがセンスを高める

この論理に立って言えば、すでに好きなことがあり多量のインプットを息をするように続けている、いわゆる『ヲタク的』に好きなジャンルがあればセンスはすでに自分の中に『在る』ということになる。

しかしそこにヲタクとデザイナーの違いがある。

その多量のインプットをする時に、常に作り手目線でされているか?

ここがセンスを扱えるかどうかの分かれ目になる。

優れた作品の作者と同じ思考回路で発想することができるようにならなければ、いくら優れた作品を大量に知っていても、優れた作品を生み出せるようにはならない。

引き出しにたくさんの便利なツールが入っていても、その中から適切なものを取り出して扱えなければ意味がないのと同じで、
ただただ消費していくだけのインプットでは強いセンスはなかなか身につかない。

自分の中に『理由』が育っていかないから。

 

優れた作品を見た時に

作者がどうしてその作品にまで『至ることができたのか?』

と問うて、発想~製作~完成までの思考をそっくりそのままトレースできるようになれば、自分の中に『作り方』が出来上がる。
その『作り方』を応用していくことでセンスのいいアウトプットができる。

 

もし自分に

好きで好きでたまらないジャンルがあり、数え切れないほどのインプットをしてはいると思うが、そんな発想で見たことは無かった。

というのであれば好きな作品を一度、そういった視点で掘り下げてみることだ。
そのジャンルでは何もインプットをしていない人よりもはるかに良いアウトプットができるようになるはず。

好きなものに共通する『ロジック』を見つけ出すまで徹底的に調べ、考え、想像を巡らす。
それがセンスを使うためのツールになる。

それはべつに何のアカデミックな裏付けがなくてもかまわない、自分で見つけた『マイルール』でもいい。

それを『知識』と呼んでしまえば

その知識から『僕の』センスは始まる。

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ABOUTこの記事をかいた人

小学校の頃のアダ名は「丸ゴリ」でした。それを知らないハズの奥さんにもことあるごとに「このゴリラ!」とイジられます。今ではゴリラの物憂げな表情に思慮深さと親近感すら覚えます。「あの~、ホラ、ゴリラの人のブログ」で記憶してもらえると幸いです。