「情弱」とはチャンスだと思う。その理由とは




「情弱」って言葉。

インターネットの世界のやり取りにおいて力を持つ人間のメンタルの意地汚さを端的に表してる。

「オマエが知らないことを自分は知っている、だからこっちの勝ち」

といったような論法を背後にちらつかせて、マウンティングしたがるあの感じ。
自分はアレが嫌いだ。

情報は古代から死活的に人を支配してきた。

情報の見せ方、出し入れに長けた者はそれだけでまさに『強者』だ。
そして、そこには一定の狡猾さ、あざとさがどうしても付きまとう。

自分の人生に大局観を持って情報を武器としてのし上がろうとする者の狡猾さは男としては非常に憧れる部分ではある。

しかし日和見の小物同士が瑣末な情報の多い少ないで、画面越しにいるであろう人を『情弱』として見下し、食い物にしようとしている世界はなんとも下品である。

そもそも『情弱』っていうワードって便利なんだよね

このワードを吐けば、手持ちの手札、つまり情弱と吐いている側の知っている情報の質は見せずに優位性を保つことができる。

そんな「情弱」の聖剣を振りかざす奴にはこう言ってやればいい。

ソースを出せ、と。

情報の信憑性を証明せずにこちらを貶めてくるような輩はそもそも相手するに値しないし、もし情報のソースを示してきてそれが実際に良い情報であればこちらとしても利がある。

面従腹背。
損して得取れ。

そんなに勝ちたいのなら
勝たせてやればいい。
弱者には弱者の強みがある。










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小学校の頃のアダ名は「丸ゴリ」でした。それを知らないハズの奥さんにもことあるごとに「このゴリラ!」とイジられます。今ではゴリラの物憂げな表情に思慮深さと親近感すら覚えます。「あの~、ホラ、ゴリラの人のブログ」で記憶してもらえると幸いです。