電車に乗る。
休日とはいえ、中には僕と同じように仕事に向かう人もいる車内。
出入り口脇のいつもの狛犬ポジションに居場所を見つけて身体を潜り込ませる。
ふと、一番端の席でねむりこけるスーツ姿の男に目をやる。
40代半ばだろうか、だいぶお兄さんだ。
しかしその瞬間僕はある一点に目が釘付けになる。
彼は頭に乾いた枝豆を乗せていたのだ。
髪の分け目にぴったりと張り付くように、皮膚に模した色の皮膚ではないものが分け目に付いている。
しかしそれは皮膚ではない。
質感が皮膚のそれではないのだ。
そもそも浮いてるし。
ホバー 皮膚。
もしかして、アレか?
彼のヘヤーは着脱可能なタイプか?
だとしたらいささかの合点はいくのだが、解せないことが一つ。
なぜ、そんなにも雑な枝豆、もとい、クオリティの低い頭髪付き帽子を選んでしまったのか?
着脱不可な頭髪を持つ僕らなんかよりももっと丁寧に客観視や、メンテナンスができるであろうに。
とうして毎朝、その帽子を被ろうとした段階で
「アレ?今日の枝豆、ちょっと乾き過ぎだな」
ってならなかった?
わりと頭髪の質感や、残存頭髪との馴染みは自然なのに、肝心の根元のクオリティがほとんど幼稚園の工作の時間のそれである。
何?めんどくさいの?
「もうメンテとかいいからとりあえず被っとけ」
みたいな朝の儀式化しちゃってるの?雑な髭剃りの流れなの?
それともアレか?僕が知らないだけで女子の間では
『今、枝豆系男子が熱い!』
とか
『理想の上司 第1位:頭に枝豆を乗せている』
とかなのか?だったしょうがないけど。
僕は幸い、まだ枝豆のお世話にお世話になるそうな感じはないけれど、
それでも長い髪の毛があんまり似合わなくなってきたり、脂肪が落ちにくくなったり、ちゃんと老けてきた感がある。
それでよくないですか?
ハゲたらハゲたで、(あ、言っちゃったw)色々なファッション誌があっておじさんでも、ってかその歳じゃないと似合わないファッションってあるし。
そのためにファッションがあるんだから、それを使って楽しめばいい。
いい歳なのに売れなかったビジュアル系みたいなファッションしてるおじさんってちょっと…
アレは若いバンドマンと、ちゃんと実績残したレジェンドだからカッコいいやつだからね。
電車で乗り合わせただけという短い時間に大人として大切なことに気が付かせてくれた枝豆パイセン。
新しい帽子を新調することなく、ありのままをさらけ出せる日はくるんかなぁ~。
そんなこと考えてたら、地下鉄の爆風とともに、何か足元に飛んできた。
どんだけこの帽子流行ってんの?