うちの子供は運動音痴なのに、いつまでも上達しないスポーツの習い事を続けてる
辞めないくせに上達に向けた練習を積むわけでもなく、ただ楽しんでいるだけ。
親としては正直、月謝の無駄なような気がして辞めさせたい
どーも、『パパがガッツリ関わる家庭教育専門家』のツマルトです。
子供の習い事ってやり始めよりも、「どこまでやらせるのか」の方が難しかったりしませんか?
そりゃあ本人が夢中して取り組んでいて、メキメキと上達しているのが親の方からも感じ取れればこんなに『通わせ甲斐』のある子はいません。
ですが、習い事に通わせている家庭の大半は「目を見張るほどうまくはないけれど、親の方から辞めさせるほどやる気がないわけでもない」
こんな状態のまま、親の方がいつもじれったい思いをしているのではないでしょうか?
「お金の問題じゃなく、実は子供の習い事の送り迎えや待ち時間がストレス」そういった問題はもしかしたら家事代行サービスで案外スッキリと解決するかもしれません。
私自身はDIYが好きだし、片付けも頭の体操になるので休みの日はもっぱら子どもの相手の隙間をみてはちょこちょこ断捨離したり、部屋の模様替えをしたりしてますが、 まぁ進まない進まない。子どもが二人とも小さいっていうのもあるんでし[…]
子供が苦しい思いをしていれば習い事を続けてもOK?
ただ楽しそうに習い事を続けているだけでは、続ける価値がないのだとしたらどのぐらいのレベルであれば親は納得できるのでしょうか?
サッカーを例に出して考えてみると…
- 黙々と個人練習に打ち込んでいたらOK?
- 補欠でもいいからチームのメンバー入りしていたらOK?
- レギュラーの座を勝ち取っていたらOK?
- 地域の他チームに勝っていたらOK?
- 全国大会で優勝するぐらい強いチームのメンバーだったらOK?
- プロのジュニアチームから声がかかるぐらいだったらOK?
こうしてみていくと「ここまでのレベルになっていれば続けてもよい」というのは結局、親のエゴでしかないんですよね。
しかもそれは親ごとに違う。
そういった、もっともらしいような顔してるけど、実はあいまいな基準を振りかざして子どものやる気を削ぐようなやり方は果たして将来的にいい影響を残すんでしょうか?
競技そのものをただ楽しく続けられることがNGで、なにか少しでも大変な思いをしていればOKというのはプロ選手とスポンサーやクラブチームの運営会社との関係に似ていますね。
親と子の関係にもそれなりの緊張感が生まれそうですが、
これを言う親側もなにかしらシビアな挑戦を続けている姿が子どもの目に映らないと、「自分は努力もしないのに文句ばっかり言ってくる存在」と子どもに思われた状態で思春期という難しい年齢を迎えることになりそうです。
子供が習い事を「楽しい」と思える時点でめちゃめちゃ才能ある
サッカーに限らず、どんなスポーツや勉強においても、「楽しい」と本人に思わせることが一番難しいです。
フィギュアスケートの世界的に有名なコーチのレッスンを受ける機会があったとしても、普段フィギュアスケートを観もしないのにジャンプの練習をしたって「なんで何度も転んで痛い思いしてまで氷の上でクルクル飛ばなきゃいけないの?」と思うだけ。
いくらお母さんが息子に羽生結弦君のようになってほしくたって、本人がやりたがらなければ無理です。
「おもしろい!できなかったけど、もう一度やってみよう!」
と思えるだけで、他の人間よりもそのスポーツにおける『着眼点』においてはとてつもなく秀でているということがわかると思います。
だって本人には「完璧にやり遂げた絵」が見えているわけですから。
そもそも、スポーツにおいては大人になってからプロ選手として活躍する人の方が圧倒的に少数なわけです。
しかし世の中には子どもの頃に打ち込んだスポーツをバックグラウンドにして、そこで得た『一つの物に打ち込むやり方』を応用して、仕事で活躍している人であふれかえっています。
上手いかどうかより、『何かに熱中した体験』があるかどうかで人生の幸福度はえらい変わってきますよね。
勝手に伸びる草を見ててもつまらない
でも、上達しないことについついやきもきしちゃうのよ~
うんうん、たしかにそうだよね。
せっかく安くはない月謝を払っているんですから、できれば活躍してカッコいい写真の一枚ぐらいは取らせてほしいですよね(笑)
これは私自身反省していることなんですが、私は趣味で観葉植物を育てているんですね。
大きく育てたいとは思っているんですが、特に何をするわけでもなく水をやってほったらかしているだけ。
そうするとどうなるかというと、なんだか妙な形に伸びたり、変なところが枯れて葉っぱがスカスカになったり。
子供の習い事に対する姿勢もこれと似ているんじゃないかなー、なんて思います。
子供が楽しんで夢中になっていることに、大人の力で関わってあげていますか?
「楽しくて夢中になれるのは才能」とはいえども、間違ったやり方でアプローチしていてはいつまでたっても結果が出ないのは無理もありません。
野球のバッティングだって、毎日素振りをしていても、右手と左手が逆の状態で振り続けていてはいつまでもボールは遠くへ飛んでくれません。
それでも「子供が楽しんでるからいいか」は違いますよね?
のびのびやらせるのと、ほったらかしは違います。
親が子供の習い事に本当に望むもの
上手くなって欲しいんじゃなくて、上手くなれるように頑張ることを覚えて欲しいんですよね。
私はそうです。
でも果たしてただ楽しんでスポーツを続けている子は頑張る気がないのでしょうか?
もしかすると、上手くはなりたいと思っているのに頑張り方がよくわからないのかもしれません。
「いやいや、それを教えるのが習い事だから」
そう言いたい気持ちもわかります。
ですが、習い事を教えるコーチや先生もたくさんの子供を同時に教える中である程度、『自分の教え方』というものがあります。
しかし、子供は子供で十人十色。
教科書を1ページ目から順番にできる子もいれば、途中のページや見開きのイラストを見た途端に一瞬で理解してしまうことだってあります。
朝はできなかったはずなのに、仕事から帰ってきたら子供がなんだか凄い事やり始めてたなんて事ありませんか?
その日1日で何を見聞きして、そうなったのかはわかりませんが、きっと勝手に『教科書の途中のページ』を覗いたんだと思います。
その子なりの理解の仕方、いわゆる『頑張り方』は、やはり週に数時間だけの習い事のコーチや先生よりも、身近にいる親がアレコレ試してみる必要があると思います。
いわばその子の最初のパーソナルトレーナー。
特に勝ち負けや、上達の有無があるスポーツにおいては最初は親がトレーナーになってあげて、大人の知性を使った情報収集を重ね、色んな頑張り方を一緒に楽しんであげることも必要ではないでしょうか。
▼競技ごと専門的な情報が簡単に手に入る
昔はたまたまテレビで放送されているか、イベントに参加しないと聞けなかった話も、こういった動画で簡単に勉強することができますし、本屋に行くと実はスポーツ競技のコーナーってのはどの本屋でもけっこうなスペースを割いて陳列しています。
スポーツも立派な勉強なんですね。
そんな親子共同の作業の中で子どもが上達すればもちろんお互い嬉しいですし、最終的に大して結果が出なくても「自分のやりたいことを全力で応援してくれた」という記憶が残りますからそれだけでも十分です。
習い事を通じて、子供が好きなことへの『頑張り方』を覚えてくれたり、親と一緒に頑張った原体験を渡すことができたらいいですよね。